『暇と退屈の倫理学』から学ぶナ◯パの楽しみ方

 

一時期、本屋とかで目立つとこに置いてあった

 

『暇と退屈の倫理学

 

“2022年東大・京大で1番読まれた本”

とのことで、だいぶ遅く読んだことになるけど。

 

 

東大・京大で1番読まれた本

 

といえば、中学生の頃に読んだ

 

『思考の生理学』

 

を思い出した。

 

中二病真っ只中の時に読んだ記憶がある。

 

 

 

まあでも、その中のグライダー人間じゃなく、飛行機人間になろってのが心に残ったのは今でも思い出す。

 

ようは自発的な人間になろってことなんだけどね。

 

ナ◯パもやらされてる感でやってもつまらんし辛いし成長しないと負の三拍子だし。

 

 

まあそれはともかく、今回の本だ。

 

『暇と退屈の倫理学

 

 

元々は、旅行の時に道中で読もうと買った本。

 

だけど意外と読みづらく、旅行のときはあまり読まずに帰ってから本格的に読んだ本。

 

 

でもオモロかった。

 

最近、あんまこーゆう本読んでなかったからな。

 

 

で、本の伝えたいこととか、一番のエッセンスとかは置いといて。

 

個人的に心に刺さった部分。

 

 

人は暇を避けたい

 

そのためには刺激を欲して、それは快・不快を問わない

 

 

ってこと。

(ぼくの覚えてる範囲なので、若干違うかもだけど)

 

 

これ、ナ◯パやってるとめちゃ感じるなって。

 

 

ぶっちゃけ、単にやりたいだけなら風の店でも行けばいい話だし。

 

 

楽しさと苦しみなら、今のところはだけど苦しみの方が大きいんよな。

 

 

でも、やっぱその苦しみも含めて暇つぶしになるというか。

 

感情が動かんとつまらんからね。

 

映画とかも、主人公が無双して終わってもつまらんし。

ずっと五条悟が活躍する呪術廻戦もつまらんよなと。

 

 

やっぱ葛藤したり挫折したり、振れ幅があるから楽しいんよね。

 

 

女修行問わずだけど、生きてるとやっぱ辛いことも多い。

 

俺の場合、わりと人生前半サボってきたから、めちゃ苦労することも多いけど。

 

 

でも、そこを乗り越えてく過程も楽しめたら良いなと。

 

講習中にも言われたことだけど、改めてそんなこと思いましたと。

 

 

 

あ、あとこの本で心に残ったのがもう一個で。

 

じゃあ、暇を潰すためになんの刺激でも良いのかって言うとそうじゃなく、ちゃんと自分の良いなと思うとこにエネルギー注ごうねと。(これも俺のゴリゴリの主観入ってるけど)

 

 

 

それで言うと、少しでも関わった子を幸せにしたいよね。

 

幸せにって言うと抽象的だけど、良いなと思ってくれたり。

楽しかったと思ってくれたり。

 

 

もちろん、毎回それは厳しいし、めちゃTaker気質の子とかだとそれはむしろ悪手かもだからさっさと身を引いた方が良いかもだけど。

 

まあ、わりと良い子も多いからね。

 

というか、変な子にしか会えない時は、たいてい俺自身がTakerマインドになってたり、しょーもない男になってたりするし。

 

 

ちゃんとした、こっちから返したいなって子も多いよ、やっぱ。

 

だから少なくともそーいう子には良い思いはしてほしい。

 

で、さらに言えばそういった活動を通して自分を磨いて。

 

周りの人にも、もっと言えば世間に良い影響を残してけるような。

 

そんなとこ目指していければなと。

 

 

少なくともマインドとしては、そーいうのも心の片隅にもっとこうと。

 

なんかその方がエネルギー湧いてくるし。

 

 

7つの習慣』の「終わりを思い描くことから始める」じゃないけど。

 

最終的なゴールもうっすらとでも思い描いてた方が変な方向行かないだろし。

 

 

「100人抱いたけど、なんか虚無・・・」

 

ってのも微妙だからな。

 

 

・・・とちょっと話がそれて来たからここらで止めよ。

 

 

ともかく、

 

 

・ナ◯パの中で感じる良いことも悪いことも、それも含めて楽しも

・最終的には自分も周りも幸せにするために活動しよ

 

ってことだすたんご。

 

てなてなてなわけで、そんなとこだすね。